【コラム】AIと自問自答
両手で包めるほどの大きさで、サッカーボールには遠く及ばず、メロン1玉よりも少し小さい。重さといえば、1.5Lのペットボトルより少し軽いくらい。私たちの脳はそんなサイズ感だ。そのささやかな塊の中に、宇宙にも似た広がりが潜んでいる。私たちは100万年前の祖先に思いを馳せ、まだ見ぬ未来を夢想し、目の前の誰かの痛みに心を寄せることができる。そして、ときに自分という最も不可解な存在を見つめ、問い続ける。この営みは、単なる情報処理ではない。意味を編み、価値を見出し、物語を紡ぐ力だ。これほど素晴らしい組織は、ほかにあるだろうか?もっとも、私たちの体を成す器官に貴賤はないのだけれど。
生成AIが急速に進化する時代にあっても、私たちの脳が持つ「意味を生む力」はなお人間の中核にある。AIは膨大なデータをもとに「generate(生成)」することに長けている。そのデータとは、ヒトが長い時間をかけて集め、記録したものの集積であり、生成されるものは言語や画像、音声など、およそデジタルで表現できる情報のほとんどといってよい。一方でヒトの脳は、経験や感情、身体性に根ざし、まったく新しい意味や価値を「create(創造)」する力を持つ。分析や抽出の技術を開発することで、これまで世界に存在しなかったデータを創り出すこともできる。
神経学とは、ヒトの脳の機能を駆使してヒトの脳の機能を解き明かそうとする、いわば自問自答の学問である。そんな神経学においても、例外なくAIの利活用は急速に進んでいる。AIの内部表現とヒトの神経回路の比較検討や、脳画像生成によるデジタルブレインの開発、バイオマーカーのマルチモーダル解析、さらにはブレイン・コンピューター・インターフェースと生成AIの融合など、研究の地平線は広がり続けている[1]。
しかし、生成AIがgenerateしたものが全てではない。ハルシネーションやおべっかは言うまでもないが[2]、データやプロンプトの少しの違いで生成される情報は異なる。出てきた答えがもっともらしければ、私たちは生成AIで真実に迫ったと思える。しかしそうでない場合、生成の結果が未知の真実を表しているのか、現実には生じ得ない空虚な情報なのか、私たちはまだ判断するすべを持たない。人の知性が、それを手本に作られたAIと協業し、友好に戦い続けることで、新しい知の世界をcreateことができるのではないだろうか。それが、私たちが目指す自問自答の学問の形だ。
引用文献
1. Tudosiu et al. Nat Mach Intell. 2024;6(7):811-819
2. Cheng et al. Science. 2026 Mar 26;391(6792):eaec8352
文責:勝野雅央
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