【コラム】「発症してから」ではなく「発症する前から」
近年、神経変性疾患の研究は、「発症してから治す」から「発症する前に見つけ、備える」へと、大きく舵を切りつつあります。
この分野で先行しているのがアルツハイマー病領域です。原因タンパクであるアミロイドβを除去する抗アミロイドβ抗体医薬レカネマブが2023年に、ドナネマブが2024年に本邦で承認され、病気の進行そのものを遅らせる疾患修飾療法が日常診療の現場に登場しました。脱落した機能を補う対症療法しかなかった神経変性疾患において、これは歴史的な転換点です。
ただし、これらは症状を治す薬ではなく、あくまで進行を遅らせる薬です。そして、その効果を引き出す鍵はいかに早く介入するかにあります。というのも、外来で診断がつく頃には、原因となる神経細胞の多くがすでに脱落してしまっているからです。過去に数多くの疾患修飾療法の臨床試験が失敗した最大の理由も、まさにこの介入タイミングの遅さにあったと考えられています。よって、最適な治療タイミングは発症前であると考えられます。
では、発症前の段階で、病気をどうやって捉えればよいのでしょうか。その鍵となるのが、症状ではなくバイオマーカーで病気を定義する考え方です。アルツハイマー病はアミロイド・タウ・神経変性という指標で病気を生物学的に定義し(ATN分類)、症状が出る前から発症を防ぐ予防試験へと進みました。パーキンソン病領域も後を追い、脳脊髄液のα-シヌクレインシード増幅アッセイ(SAA)による病理検出とドパミン神経障害を軸に、症状ではなく生物学的指標で病気を定義し直す「神経α-シヌクレイン病(NSD)」という枠組みが提唱されています。診断名ではなく、体の中で起きている変化そのものから病気を捉える大きなパラダイムシフトです。
また、パーキンソン病やレビー小体型認知症には、発症前を捉えるもう一つの手がかりがあります。運動症状や認知症に10〜20年先立つ長い前駆期(プロドローマル期)に出現するレム睡眠行動異常症、嗅覚の低下、頑固な便秘といった前駆症状(プロドローマル症状)です。これらの症状を神経変性の兆しとして捉え早期介入を可能にすることが先制・予防治療の入り口となります。
この生物学的指標と臨床的な前駆症状を組み合わせ、予防研究に挑んでいるのが、私たちが2017年から進めるNaT-PROBE研究です。日本独自の健診システムを活用し、便秘・嗅覚障害・レム睡眠行動異常症といった前駆症状を手がかりに、運動・認知症状が出る前のハイリスク者を見つけ出す試みです。これまでに50歳以上の健診受診者28,739名を調査し、複数の前駆症状を持つハイリスク者2,036名(7.1%)を同定しました。さらに二次精査を行うと、そのうち約3分の1で、自覚症状がないにもかかわらずDaT-SPECTやMIBG心筋シンチグラフィにパーキンソン病やレビー小体型認知症に特徴的な異常が認められ、神経変性マーカーである血漿ニューロフィラメント軽鎖(NfL)も上昇していました。つまり、まだ健康にみえる中高年の中に、すでに病態が静かに進行している人が確実に存在するということです。
私たちはさらに一歩進め、前駆期の段階で発症を遅らせられるかを検証する介入試験(NaT-PROBEi)を行いました。神経保護効果が期待されるゾニサミドを用いた探索的試験で、残念ながら主要評価項目に有意差は示せませんでしたが、対象者をどう層別化するか、何を指標に効果を測るかといった、次の予防試験を設計するうえで欠かせない課題を明確にしました。
一昔前であれば、パーキンソン病は発症してから対症的に治療するものであり、予防治療は手の届かない領域でした。しかし今、神経変性疾患の予防は夢物語ではなく、科学的に検証可能な段階に入っています。健診で見つけたわずかな前駆症状を手がかりに、一人ひとりの発症リスクを見極め、最適なタイミングで介入する。そんな医療の実現を目指して、私たちは研究を進めています。
文責:レビー小体病グループ